2013年6月2日日曜日

マイノートで自分史が

マイノート書き方講座に出られた方で、マイノートを参考に自分史を纏められた方がおられます。ご本人の快諾を得て内容をご紹介します。
この方は、私達と同じく、健康生きがいづくりアドバイザーの資格を持ち定年後の人生をボランティア活動や、裁判所の調停員などを勤められ、自由闊達な人生を送っています。 まさに第二の人生の達人です。
マイノートの精神を的確に理解・賛同され、自分史に見事に生かされています。最初のマイノートに関する部分の一部を以下に添付しました。
全文をお読みになりたい方はこちらをクリックしてください、72ページに及ぶ冊子をご覧いただけます。






2012年10月15日月曜日

マイノート書き方講座の実績





マイノート書き方講座を始めて3年以上が経つ。三鷹市の「生きがいクラブむさしの」とタイアップして三鷹市民対象のマイノート書き方講座をスタート以来、三鷹市をはじめ、武蔵野市、小平市、八王子市などに広がってきた。
恐らく武蔵野地区だけで延受講者は500名を超えただろう。
その後、福祉と生きがいを考える会の会員が関西地区でマイノート書き方講座を開始、今年1月から毎月定例の書き方講座を続けており、開催が決まっている講座だけで、12月まで延15回になる。
お蔭様で、少しずつマイノートの目的も知られるようになり、エンディング・ノートとは大きく異る使い方が、理解されるようになってきた。
健康寿命と平均余命との差が乖離していることも輪をかけて、人生の最終章を快適に過ごすために、準備しておくことへの意味が大きい。


マイノート講座開催一覧 


         「生きがいクラブむさしの」主催             
開催日
場所
主催者
講座時間
受講者数
9年6月
(2日)
三鷹ボランティアセンター
生きがいクラブむさしの
14
9年11月
2日)
三鷹市福祉会館
生きがいクラブむさしの
26
10年2月
(2日)
三鷹市福祉会館
生きがいクラブむさしの
25
10年8月
三鷹市民協働センター
自分の死を考える会(醤野)
44
10年9月
(2日)
三鷹市福祉会館
生きがいクラブむさしの
20
10年12月
三鷹市井の頭地区公会堂
がんばる地域応援プロジェクト
21
11年1月
(2日)
三鷹市福祉会館
生きがいクラブむさしの
23
11年2月
武蔵野市武蔵野芸能劇場
北多摩中央医療生協
24
11年3月
(2日)
三鷹市大沢下原地区公会堂
がんばる地域応援プロジェクト
24
11年9月
三鷹市福祉会館
生きがいクラブむさしの
28
12年1月
三鷹市福祉会館
ほのぼのネット交流会(連雀班)
55
12年2月
三鷹市福祉会館
生きがいクラブむさしの
22
12年6,7月
(3日)
小平市立上水南公民館
小平市
24
12年9月
三鷹市北野地区公会堂
ほのぼのネット交流会(北野班)
55
12年9月
三鷹市大沢コミセン
大沢住民協議会・西社会教育会館
28
    (延15回)

(433名)
                                    NPO生きがい大阪 主催

開催日
場所
主催者
講座時間
受講者数
12年 1月
大阪府社会福祉指導センター
NPO法人生きがい大阪
2.5
13
12年 2月
大阪府社会福祉指導センター
NPO法人生きがい大阪
2.5
25
12年 3月
大阪府社会福祉指導センター
NPO法人生きがい大阪
2.5
15
12年 4月
大阪府社会福祉指導センター
NPO法人生きがい大阪
2.5
12年 5月
大阪府社会福祉指導センター
NPO法人生きがい大阪
2.5
12年 6月
大阪府社会福祉指導センター
NPO法人生きがい大阪
2.5
12年 7月
大阪府社会福祉指導センター
NPO法人生きがい大阪
2.5
12年 7月
講師養成講座
NPO法人生きがい大阪
2.5
12年 8月

大阪府食改役員会
1.5
32
12年 9月

守口市シルバー人材センター
2.2
25
12年10月

神戸市西区民生委員会
2.5

12年10月
大阪府社会福祉指導センター
NPO法人生きがい大阪
2.5

12年11月
大阪府社会福祉指導センター
NPO法人生きがい大阪
2.5

12年12月
大阪府社会福祉指導センター
NPO法人生きがい大阪
2.5

12年12月

大阪市母子寡婦連絡会
2.5

    (延15回)


    

2012年2月4日土曜日

新しいマイノートができました

昨年よりマイノートの改訂作業を行なってきましたが、この度新版「気持ち良い人生を送るための マイノート」が完成しました。
今回の改定内容は以下のとおり。
①徹底的に書く人の立場に立って書きやすいことを目指し、文字を大きく、記入スペースもたっぷりとった。
②記入しやすくするため、片面印刷にし、コピーもとりやすくなった。
③旧版ノートにあった豆知識や参考資料を省いて、記入面のみのシンプルな作りにした。
④インクの滲みなどを防ぐため、少し厚手の紙質に変えた。
⑤内容の差し替えや他の資料を綴じ込めるよう、バインダー方式とし、自分にとって本当に必要なページだけを残せるようにした。
⑥一番始めの「私のことをまかせる時」5ページは記入後、バインダーからはずして、緊急用として使えるようデザインした。
一人住まいの人はこれを冷蔵庫などにぶら下げておくといざと言う時すぐ参照できる。

マイノートは2009年5月初版が発行され、翌年2010年8月増刷、そして今回第2版発行の運びとなった。
三鷹を中心に活動している「生きがいクラブ武蔵野」のメンバーが続けてこられたマイノート書き方講座により、マイノートが三鷹市民の中に定着してきた。
今年から、「NPO生きがい大阪」でもマイノート書き方講座がスタートした。
その他地域でも同様の動きが出始めており、徐々にマイノートの意義が理解されてきたのを感じる。

マイノートを購入いただいた方のアフターサービスとして、記入後ページ内容を訂正したい場合や、マイノートに組み込まれているだけではページが足りない場合などに備えて、このブログからダウンロード出来るようにしてある。
今回の新板マイノートはまたブログに反映されていないが、準備が整い次第ブログに上げる予定。しばらくお待ちください。
新しいマイノート冊子を、ご希望の方は infoblog@gmail.comへご連絡下さい。










2011年4月29日金曜日

介護施設と認知症

先日、特養ホーム芦屋喜楽苑、市川理事長の講演を聞きましたので、そのまとめです。

近年、特養ホームへの入居が難しくなっているので、入所者の介護度は平均4となっており、その80%は何らかの認知症である。
認知症の60%はアルツハイマー、30%は器質欠陥だ。
家庭で介護しているケースで多いのが、仮性認知症と言われる「うつ病や譫妄症」である。
初発初期の間にちゃんと手当すれば、回復することもある。
私の父の場合は、居宅介護をうけていた段階では、認知症と診断され、一時は車椅子生活、ほとんど言葉を発しない状況が続いていた。
母による老々介護に限界が来て、老人保健施設にお世話になったところ、日々規則正しい生活とヘルパーさんのリハビリにより、かなりの回復に驚いた経験がある。 後ほど聞いてみると、やはり仮性認知症で譫妄症だったようだ。

認知症になっても感性・感情は最後まで失われない、どうやら本能的に自分を守るためらしい。 認知症では、①自分の状況が納得できないので、常に不安な気持ちである。 これは小集団に所属していることで安心感を得られるケースが多い。
②環境によって、出方が変わる。性格に合わせたいいケアーをすると改善する。 ③まだら痴呆は現実とプライドとのせめぎ合いの結果、気難しい感じになる。個別対応が必須で論理的な対応が効く。

介護を提供する側としての基本的な考え方は、
①人間は社会的動物なので、ケアーは社会と切り離しては難しい。 そのため
地域の中で一人の生活者として、どのように日々の暮らしを築くのかが最も重視していること。
②具体的には、人間の尊厳を守るーー高齢者への言葉遣い(立派な大人として、自己決定が出来るような話し方)
プライバシーの保持ーー同性介助(オムツ、風呂など)
市民的自由、社会参加の尊重ーーお酒、外出、外泊などの自由、個人の電話
③社会性を保持するため、家族会やボランティアーの参画を推進している。
介護施設を地域文化の中心にしたいので、ギャラリー、喫茶店を併設、外からのお客で大変繁盛している。
さらに、積極的にボランティアーを受け入れ、現在300人程度が集う。
主に、生活を豊かにする部分、買い物や居酒屋に一緒に行くなどをサポート。
④ハードで人権を守る活動、全室個室を目指す。個室だと家族の訪問時滞在時間が4床室の2倍以上となる。 食事もできるだけプライベートゾーンで摂ってもらう。睡眠時間も個室だと7時間、4床室では5-6時間くらいと差が出ている。
⑤生命力を萎ませない施設づくりが理想。 5つの生活落差を無くしたい。
空間落差、時間落差、規則落差、言語落差、役割喪失落差 
残存能力を維持し、活かす介助が大切。

例として、
故郷への里帰りサポート:故郷再訪の希望者に介護者が付き添って実現させ、失語症だった人が発言するようになった。
介護人もその人の数十年の過去を知ることが出来て、以降介護の仕方が変わった。

別のケースでは、故郷に戻って、3000人も取り上げた助産婦さんだったと分かり、施設に戻ってからも、その話をすると笑顔で会話が弾むようになった。

また、ずっと長い間水平社運動をしていた事が故郷の知人や、友人から知らされ多くの人から尊敬を集めていたエピソードなども、思い出された例もある。

私も、両親の介護を終え、これからは自分が介護、介助を受ける立場になりつつあるのを、日々実感している。
将来の自分はどうなるのか予見できないが、衰えてゆくことは間違いない。
残された人生は長くは無いが、それだけに一日一日が貴重に思えてくる。
オーストラリアのクリスティーン・ブライデンさんは46歳で認知症と診断されたが、科学者であった彼女は残存する能力を使って、毎日の自分を観察し、認知症の研究、対応などを纏めた。それが「死ぬ時 私は誰になってゆくのか ?」と言う本だ。 
クリスティーンのメッセージを聞くことができます、こちらからどうぞ。

衰えは誰にでもやってくるが、全部が一度にだめになる訳でもない、残された機能、能力をとことん使い切るのが、人生の使命ではないだろうか。
人生の使命を生きるとき、マイノートが必ず役立つはずだ。

2010年8月7日土曜日

尊厳生 延命治療は止めて下さい

NPO「生きがい大阪」での講演レジメです。
同様の内容で、機関誌(9月1日出版予定)にも掲載される予定です。



尊厳生:延命治療は止めて下さい

1.    マイノートの紹介 三鷹市でのセミナー経過紹介
健生26期 東京で「福祉と生きがいを考える会」を結成
介護を中心とした勉強と出版、セミナー活動
冊子「介護はとつぜんやってくる」「介護を受ける前に」「マイノート」出版
 
2.      マイノート書き方セミナー 東京三鷹市を中心に20数回 600名程
死が近づいてきたら書くもので、記入するには早過ぎる考える。
死後のことは考えたくないのだ。
マイノートの半分以上は貴重な人生の残り時間を自分らしく生きるための宣言書である。

3.      マイノートの構成は19番生きている自分がより良い老後を過ごすため
10番終末期の自分のため、意に沿わないことは嫌だと言っておくため。
1118番残してゆく家族のため。
肉体が衰えて、介助や介護が必要になるのは仕方がない。家族にすべてを委ねられる人は良いが、他人の世話になることの方が多い。

4.      居宅介護や介護施設のお世話になる時、「私とはどんな人?」かを解ってもらえているのと、そうでないのとでは大きな差がある。
人は肉体だけではない、7080年生きてきた人生だから、大切にしている想いや記憶がある。
人生の大半を費やしたのは何なのか、好きな食べ物は、趣味は、気持ちが良くなることは何、音楽は、一番大切に思っていることは、などなど
配偶者でも答えられないことも多い
5.      老衰が進んでくると、誤嚥を起こすようになる、食事が流動食に変わる人もいる。流動食は美味くない、食べなくなる、それを施設では、短時間のうちに何とか食べさせようとする。ヘルパーさんの忙しさがそれに輪をかける。
まるで餌を与えられているようだ。だんだん食べなくなってくる。
そうすると衰弱が進むので、胃への挿管の段階になる。
管から高タンパクの液体を胃に直接流し込む、栄養は十分なので本人は元気になる。でも、これが延命治療の始まりである、知らないと家族も、それが延命治療の始まりとは思わない。
胃への挿管は苦しい、介護されている人は無意識の管を引き抜こうとする。介護側は阻止するために場合によっては、両手をベッドに縛る。

6.      医療現場の医者や看護婦は延命の方法として、食事が取れなくなると挿管を始める。
介護現場の人たちは必ずしもこのような方法に全面的に賛同しているわけではない。
東京三鷹市で、望まない延命治療を病院や施設で受けながら迎える死から脱却することを目指す「三鷹 自分の死を考える集い」がある。
主宰は、看護婦でケアマネージャーの醤野良子さん。彼女が集いを始めたきっかけは、看護婦の経験にある。骨がもろくなった老人の止まりかけた心臓を肋骨の折れるのも構わずマッサージを続ける。尿を出すための管や、胃への挿管など次々に装着してひたすら延命に躍起になる医療の実態を知り、「これでいいのかと悩み」病院を辞め、今は介護施設で働いている。
7.      「マイノート」の主張である、自分の人生は死ぬまで自分の意志の通りにする、そのための宣言書というコンセプトに、醤野さんも賛同し、今年度から共同活動が始まった。
まずは、マイノートの最初のページに「私は延命治療を希望しません」とはっきり書いて、署名捺印をしておく。これがスタート
施設や病院で、食が取れなくなると医者はすぐ胃への挿管をしようと言う。その時、本人がはっきりと意識がなければ言うがままになる、家族も「挿管をすれば元気で長生き出来ますよ」と言われれば、その気になる。苦しい目に会うのは自分じゃないから、そして親の長生きは子供の願いだから、OKしてしまう。
次の段階は胃ろうだ。胃ろうとは体外から胃内腔へ向けて、皮膚皮下組織・胃壁を貫通した穴に、栄養チューブの一端を体外へ、他の一方を胃腔内に留置する。 栄養のためには水分・食餌を体外から注入する。嘔吐に対しては、チューブを開放して、胃内腔を減圧する。
8.      胃ろうまで来てしまうともう元に戻れなくなる。ベッドに寝たきりになり、食事は直接チューブから胃へ流し込まれる。確かに寿命は延びるかも知れない。でもそれは本人が望んだ人生最晩年の生きたかった姿だろうか。
昔の老人は徐々に衰弱してゆき、枯れてくるので随分体重が軽かったそうだ、今は亡くなるまで顔色もよく、体重も減らない人が多いそうだ。
医療側の延命の論理に勝つ方法は唯一、本人がはっきりと延命治療を拒否することだ。書類があれば家族はそれを証拠に医者と話せる。

9.      延命治療拒否の次に来るものは ?
さて、無事延命治療を拒否したとすると、当然、誤嚥の危険も多くなる。ただ、誤嚥は食事だけで起こるものではなく、つばでも起こるのだ、タンが溜まっても起こる事がある。
食事量が減るので、衰弱は進むだろう、衰弱がひどい場合は、幹静脈への点滴もするが、いずれにせよ、老衰がすすむ。
延命治療をしないので、最後の段階に差し掛かる。
その状態でも、本人の思うとおりの生活を確保することは出来るのだろうか。現在の介護施設や病院では望むべくもない。
本当の人生の最終幕を自分の思うとおりに下ろすには、どうしたら良いのだろうか。

10。 マイノートで延命治療を拒否する宣言を残すことはできるが、その先に
    る時間を過ごす場所は有るのだろうか、誰が一緒に過ごしてくれるのだろ
    うか、誰がケアーを担当してくれるのだろう
私達は、それは、ホスピスだと考えている。ホスピスとは、元々は中世ヨーロッパで、旅の巡礼者を宿泊させた小さな教会のことを指した。そうした旅人が、病や健康上の不調で旅立つことが出来なければ、そのままそこに置いて、ケアや看病をしたことから、看護収容施設全般をホスピスと呼ぶようになった。教会で看護にあたる聖職者の無私の献身と歓待をホスピタリティ (hospitality) と呼び、そこから今日の病院を指すホスピタル (hospital) の語がでた。歴史的には、ホスピタルもホスピス同様に、病院だけでなく、孤児院、老人ホーム、行き倒れの収容施設なども指した。
日本ではホスピス病院はターミナルケアとして、末期ガン患者やHIVの患者に対する看護を提供してきた。とくに重篤な病状や疾患がなくとも、老衰により死期に面した高齢者の処遇を巡って、在宅もしくは病院または介護施設のいずれであれ、そのあり方について議論されている。
主に延命を目的とするものではなく、身体的苦痛や精神的苦痛を軽減することによって、人生の質、クオリティオブライフ(Quality of LifeQOL)を向上することに主眼が置かれ、医療的処置(緩和医療)に加え、精神的側面を重視した総合的な措置がとられる。
最近では、在宅ホスピスをサポートする医者、看護婦、ケアマネージャーなどのチームでこのようなサービスの提供が始まっている。

尊厳死と言う言葉があるが、私たちの主張は、死ではなく、生である。高齢になって、延命治療で他人に委ねた「希望しない生」ではなく、尊厳をもって自分が選ぶ最後の生き方の主張、それを「尊厳生」と呼びたい。